デッサン −ふたりの鉛筆−

dessin(デッサン):木炭・コンテ・鉛筆などで描いた単色の線画。普通、作品の下絵として描かれる。素描。

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2008.06.15 Sunday

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握手のデッサン

2008.04.05 Saturday 23:20
 高校生の時、鉛筆で手を描きました。小さな手、優しく包まないと泣き出してしまうから、大切に大切に。イメージで描いたので写実性には不安を残しているし、クロッキーに近い量感の浅さは感じますが、柔らかな気持ちを形に表わす努力をしていたように思います。手で、想いを表現できているでしょうか。
手
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作品名「渚」(鉛筆による複製)

2007.12.01 Saturday 23:16
 何かの狭間で苦しむ時、海を見に行くときっと癒される。海は大きいから。渚…海でもなく、陸でもなく、空でもない場所。スピッツのマサムネさんが昔、先生に教わったとか。スピッツの歌が好きになったのはこの曲から。

 高校で卒業研究みたいな取り組みがあって、この「渚〜海でもなく、陸でもなく、空でもない場所〜」をテーマにしました。内容は渚と掛けて、海から陸へ、そして空へ、その進化のまっただ中にいる動物について。
 当時の私は、周りの人もそうだったと思うけど、子どもと大人の狭間にいた存在でした。今もそうかもしれない。渚
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ラピュタの園丁

2007.11.24 Saturday 23:15
 疲れた時は空を見てみます。今日は日射しが気持ちよかったです。真っ青な空に白い雲が浮かんでいると、laputaに憧れたことを思い出します。雲からちょこっと覗かないかななんて思うほど。好きすぎてビデオ(予約すると飛行石がついてた)、コミック、DVDを手に入れ、またどんぐり共和国に行っては、ジブリの世界をただ眺めて楽しんでいます。ジブリの世界って本当に素敵。園丁


 異文化の遺跡、不思議な世界、空に限りなく近い場所。地に足をつけて働く日々に疲れたら、時には空に憧れても良いですよね。昔みたいに頻繁に現実逃避はできないけれど。でも何が現実であるか、なんてそこに存在する間に確信するのは難しいのかもしれません。昔ある人が蝶になった夢をみて、目が覚めてから考えました。私は蝶になった夢をみた人間だろうか、それとも今人間になっている夢をみている蝶なんだろうか。
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ドラゴンボール

2007.11.04 Sunday 20:03
 ドラゴンボールで絵を描くことに没頭していた小学生時代ですが、このドラゴンボールは本当によくできてて、今でも大好きな漫画の一つです。ストーリーもさることながら、まず名前がおもしろい。下着の名前の一家や、ピッコロ大魔王と楽器の名前の部下たち。細部までユーモアを踏まえたネーミングがとても楽しい。


 多くの名前は食べ物からきてますね。初期から中華の名前のキャラが活躍してます。有名な話だけれど、戦闘民族のサイヤ人の名前はヤサイの名前からきてます。サイヤ人の王ベジータ、カカロット(地球で孫悟空と名付けられる)、ラディッツ、ナッパ、ブロリー、バーダック(悟空の父。仲間にトーマ、セリパ、トテッポ、パンプーキンがいる)ターレス、パラガス…他にもギニュー特戦隊やフルーツの名前の兵士たち。映画でも食べ物の名前のキャラが活躍する中、その全宇宙を統一する悪の長がフリーザという。何よりそんな名前がキャラによくハマっていて、それらしく聞こえるのがすごい。


 ある人が、このドラゴンボールは敵を倒して終わりの、善と悪の戦いに終わらない救世主物語だと言っていました。元々敵だった登場人物が(敵のまま終わるのもいるけれど)、次々と味方になり、倒されて終わることなく、孫悟空を中心に仲間として新たに生き始めるのです。天下一武道会の登場人物を初め、ピッコロやベジータ、人造人間や魔人ブウまで最後は敵ではなく、仲間としているのがとてもステキな物語です(結婚までしてます)。フリーザでさえ悟空は救おうとしたくらいです。チェスではなく将棋とその人は例えていました。


 それはおいといても、やっぱりおもしろいなぁドラゴンボール。戦いのシーンなんてかっこよくてドキドキする。
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絵を描く勉強

2007.10.27 Saturday 21:49
 初めて描いた絵なんて、今ではもう覚えていません。なんともわからない模様だったのか…でもいつの日か子どもは好きな漫画の絵を描き始めます。ドラえもんの絵描き歌やらパーマン、そして私の場合(多くの子どもたちもそうだったでしょうが)ドラゴンボールへとたどり着くのです。今の子どもたちはナルトとか、鋼の錬金術師とかでしょうか…けれどドラゴンボールも、今なお子どもたちに描かれている絵の一つです。


 今思うとこの営みは本当に意味があることだと思います。もちろん、顔は実際の人間のそれとは作りも形も違いますが、まず一つ、できる限り手本を見て同じように描くということを学びました(最初からそっくりには描けないけれど…)。そしていろいろな動き、パンチやキック、かめはめ波やファイナルフラッシュなど、指や腕を初め、身体全体がどんな風に描かれているのかを、なんとなくでも考えながら、たくさん真似しました。実際に人やものを見て描くのは授業でしましたが、デッサンの初めは好きなキャラクターを見本をみながら描く、こんなことから始まりました。今でも、たくさん描いたスーパーサイヤ人3はよく覚えています。みなさんは子どもの頃、どんな漫画の絵を描きましたか?
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天地創造

2007.10.19 Friday 22:33
アダム
 実物は見たことがないけれど、とても有名で一度は見に行きたい作品。ミケランジェロの天地創造。これはその一部分で、神が人間であるアダムに魂を吹き込む場面らしい。


 でもこの絵を見ると、まるで、人間そのものを表現しているような何かを感じます。神が腕を精一杯伸ばし人間に触れようとしている。でも人間の腕と指は曲がり、そこにわずかな隔たりが生まれている。いつも神は我々に精一杯愛情を込めて手を差し伸べているのに、我々はそれに気付かず、いつも自分たち人間のことばかり考えているのかもしれません。
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ピカソ美術展

2007.10.11 Thursday 13:30
 先日ピカソ美術展に行きました。ピカソといえば、キュビズムの創始者の一人で、立体の全てを前面に出す特徴的な絵でとても有名です。子どもの頃から天才でデッサンを極めたからこそ、子どもの頃に描けなかった絵を求め続けていたのだろうと思います。彼の絵を見ていると、時にとってもかわいい絵があります。美術展でも数点並んでいましたが、私は彼の牛の絵が好きです。牛といっても、ゲルニカのような怒りや悲しみにあふれたタッチで描かれたものでなくて、ただ初めて牛さんをみてその大きさにドキドキした子どものように描かれた絵がとても好きです。


 昔パリのピカソ美術館で買った写真の絵はがきなのですが、ピカソのユーモア溢れるその写真作品が今でも印象に残っています。食卓の前に座ったピカソ。手は膝の上にきちんと揃えているようで、机の下に隠れています。食卓の上には10個の小さな(といっても1つで朝食には十分な大きさの)フランスパンが並んでいて、5個ずつちょうどそれぞれの手が隠れたあたりに、指のように並んでいます。それを知人に見せた時に彼は言いました。「やっぱりピカソは手も凡人とは違うなぁ。」
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作品名「空」(鉛筆による複製)

2007.10.04 Thursday 00:03
空 高校生のとき、よくノートに絵を描いていました。授業中、ノートの片隅に描いた落書きのようなものから、何かを表現したくて描いたものまで。これは当時つけていた日記の1ページ目に描きました。もともと鉛筆でしたが、白いお絵描き帳に複写してみました。日記のタイトルは「四角い心(まど)から見えた情景(けしき)のスケッチブック」。当時の、人に言えない苦悩や悲しみをただ言葉にして表現したもの。空を切り刻む電線、その恩恵を受ける生活、そこで戯れる小鳥たち。進路を考えながらいろいろなことを思っていたのでしょうね。もやもやも、言葉にするとけっこうすっきりするものです。話せる相手がいないとき、私の場合、自分に話してみるのでした。
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京都市美術館にて

2007.09.26 Wednesday 22:48
 フィラデルフィア美術館展の最終日、京都市美術館に行きました。印象派からキュビスムとかシュルレアリスムとか…とにかく個々の作品だけでなく、美術の移り変わりも感じ取れるような構成でした。それまで求められていた写実的な表現から、明暗の段階に富んだ、印象的な、全体の雰囲気を重視した表現を求め、印象派に続いて、遠近法や写実を放棄して、ピカソを代表とするキュビスムとか、超現実とか、抽象とかいう表現が続いて生まれてるようです。正直シュルレアリスム(超現実主義)と言われても、「これが現実を超えた現実かぁ」なんてわからないんだけれど、写実的でわかりやすいものをはじめ、いろんな絵をきれいだなぁとか、ステキだぁとかなんとなく眺めてて、ふと惹きつけられるのがそんな世界の作品であることが多いです。


 ジョアン・ミロという画家がいます。私はなぜかこの人の作品が好きです。対象、物事や空間を細部まで写実的にではなく、また全体的に印象的に描いている感じでもなくて、「いったいどこにこんな世界があるんだろう」って不思議に思う作品です。でも確かに”抽象的”ではなく、夢の中のようではあるけれど、具体化された世界がそこにあります。一つだけ持ってる複製画はミロの作品です。以前、美術館の一室で、遠くからその作品を見たとたんに気になった作品。複製画では、本物と対峙した時のような何かを得ることはできないけれど、その時の感動をたまに眺めては思い出しています。実際に作品と対峙した後、ミュージアムショップで絵はがきをよく買います。絵はがきは安価で良い。本物は買えないからそれで何かを思い出したいのかも。


 シュルレアリスムは空想でも非現実でもなくて、「ものすごく過剰なまでに現実」「現実から離れてしまった世界ではなく、夜の夢や見慣れた都市風景、むき出しの物事などの中から不意に感じられる「強度の強い現実」「上位の現実」」という考えの中で描かれる世界だそうです。
シュルレアリスム. (2007, 9月 14). Wikipedia, . Retrieved 14:26, 9月 26, 2007 from http://ja.wikipedia.org/

─私は何一つ創造しなかった。
  すべてはそこに初めからあったものだ─ ミロ


  ある女優の言葉を思い出します。
「私は絵を通して、彼の見ていた世界を見たいのかもしれない。
私にはこんな風に世界は見えないから。」
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作品名「夢」(鉛筆による複製)

2007.09.19 Wednesday 23:43
 中学三年生の美術で作った作品です。画材は何というのか忘れましたが、鋭いもので引っ掻くと削れて白い線ができる、何か黒い土台が塗られた紙でした。テーマもなく自由にその白い線で描いていくという創作でした。その時に私はこの作品を作りました。鉛筆では再現できなかったけれど、黒い背景に白い雲、そして林檎から放たれる白い光。私は随分時間をかけて細い線を重ね続け、林檎から放たれる光は、作品の上半分の黒い土台をほとんど白く変えていました。もう原作は残っていませんが、当時は抽象的で漠然とした夢というものに、そしてそこに向かうことに、希望や憧れ、不安、覚悟、いろんな想いが入り交じった気持ちでいたのだろうと思います。夢に続くいばらのはしごは、もう地面が見えないほどの所にまで至り、当時の私が心に抱いていた夢への想い、その道のりが漠然と険しく、厳しいであろうという想いを表現しています。
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